運営者プロフィール

運営者:午前8時、雨。エフェクター
連絡先:「お問い合わせ」からご連絡下さい。

「機材」というのは本当に面白いものだと私は思います。

どんなものでも自分の個性に一点集中して、それ単体では効果が出せない。
そんな個性の塊である機材に惹かれるようになったのはある意味必然だったのかもしれません。

初めまして。午前8時、雨。エフェクターと申します。本職はウェブマーケッターとして働いております。


この度「monolith CHARGE & ROYALTY FREE BGM」というサイトを立ち上げ、運営しております。


サイトの目的は、私が自分自身で制作した音源を無料でダウンロードし使って頂く事と、機材と過ごす日々の中であった気付きやおすすめの機材などを発信する事です。


なぜこのようなサイトを運営しようと思い至り、実際に始めたのか。そのご説明をする事で私の自己紹介とさせて頂けるかと存じます。

私が15歳くらいだった2000年代初め、当時はCD販売が再好調だった時期で、このころに思春期だった若者たちは音楽番組が一番の楽しみなようなものでした。「昨日あれみた?」なんて朝一で友達と話すのが当たり前で、私もその中の一人でした。

その影響からJPOPを好きになった私は、初めて人前で歌った時の下手さに悔しさを覚え、うまくなるためにカラオケにほぼ毎日のように入りびたり、そんな中で文化祭のバンドにボーカルとして誘われ合わせてギターをはじめ、学祭でもてはやされた結果、音楽は自分にとって特別なものなんだ、と当然のように感じるようになりました。


組んでいたバンドのギタリストはとてもカリスマがあり、みんなから慕われ、モテまくり、学園カーストの頂点のような男だったのですが、この男はなぜか私をほぼ毎日遊びに誘い、カラオケやら楽器遊びやら洋服屋巡りやらといろんなことを教えてくれました。


そんな彼が教えてくれた中に洋楽があり、私の人生はより一層音楽に染まっていきました。
私は黒人音楽に魅了されブルースから始まりソウル、ファンク、ジャズを聴くようになりました。


上京し音楽の専門学校に行き、あまりの学びの無さに1年で辞めました。
都内の中古レコード屋に就職するも恐ろしいハードワークで数年で辞めました。
当てもなく歌の練習だけは続けてギターはそこそこに、仕事を数年ごとに転々としていました。

たまたま聞いたDTMという存在に希望を抱き、なけなしのお金でパソコンとソフトを買い打ち込むも思ったように行かずにただ自分のセンスのなさに絶望しました。

あるウェブ主体のイベント運営会社で新宿の支部での運営を管理していた時、オフィスに誰もいない事をいいことに有線をジャズに変えました。

その時流れてきた曲を聴き、私は、雷に打たれ、ピアノを始めようと決心しました。

その曲はトミーフラナガンのコンファーメーションだったわけですが、その時の私はエヴァンスやオスピーなどがジャズだと思っており、ハードビバップを知らなかったのでシンプルにコーダルモーダル入り混じるアドリブ音楽の魅力に打ちひしがれました。

それから日中働き、帰ったらジャズの音楽理論を勉強する日々が始まりました。

この時の経験が私の性格と感性を180度変えました。

本当にわからないものと直面しても誰からも教えてもらえない、助けてもらえない環境のストレスはかなり私を苦しめました。人に習おうとしましたが、とても不自由で自分の求める疑問に回答がもらえない事で、無意味さを感じ人に頼ることも出来なくなりました。

私は無意識下で、泣き叫べは誰かが助けてくれると思っていたのだと思います。

この愛しき学問は私という人間を徹底的に叩きのめし地の底へ投げ捨てました。

地の底で叫び続けても本当に誰もきてくれない、本当に誰もいないのだと。

私が崖から転落しようが天にも登ろうが他の人にとって1円の価値もないということ。



本当の意味でそのことに気づいた時、私は人生で初めて泣き止んだのだと思います。



私は普通の人が本気で行う受験勉強や就活でそれらを学ぶ事をせずに二十歳をすぎ、音楽理論から教わりました。

そうして必死に分析し、数年後、3.11でボロアパートが壊れたことをきっかけに地元に戻り、楽器屋に勤め機材の魅力にやられながらも、傍らジャズセッションのホストピアノ弾きになる事ができました。

ですが数年後コロナウイルスの影響でジャムセッションができなくなり活動は辞めました。

それから数年間シンセとシーケンサー相手に音楽をし続けていました。

楽器屋勤めと機材いじりの日々はとても満たされる素晴らしい日々でした。

それからまた数年、最愛の妻と結婚し猫を迎え現職に就き働きました。

今の仕事を始めて8年目の今、暮らしながらふと思いました。
魅力的な機材に囲まれて楽しんではいるけれど、あまりに閉鎖的で目標もない。これではあまりに勿体無い。

そうして考えた結果、この子らを用いて何か形に残していこう、と思いました。

そうしてこの度サイトを立ち上げようと思い至りました。

私は今見て頂いた通り何かに特化する事ができなかった人間です。

ですが1人で物事を掘り下げる苦しみに打ち勝つ方法を音楽理論に教わりました。今回もWordPressも初めてでしたが四苦八苦しながら納得のいくページを作る事ができました。

なんでもできるが専門家にはなれない。
そんな私が、個性の塊である機材に惹かれる事になるのは必然だったと、やはり思います。

このサイトが私の生きてきた轍を示してくれるようになればと願っております。

愛しき機材たちと共に、今ここに記した私自身の過去を音楽に変えて発信していきます。

ぜひお気軽にお聴き頂きよろしければお使い頂けましたら、大変嬉しく思います。

ここまでら読んでくれた方がいらっしゃったとしたら、心から感謝致します。

それでは今後とも、よろしくお願い致します。

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